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| 한국과 일본의 문화 |

제목: わが竹馬の友 (2)
분류:  
이름: 申鉉夏


등록일: 2020-08-16 08:33
조회수: 245 / 추천수: 39




隣面との境にある()の家は、漢字の「口」の字の形をした瓦葺き家だった。その造りのせいだったのだろうか、家の中はいつもうす暗い感じだった。だが、彼の家庭内の雰囲気は、家中がキリスト教信者だったからなのか、封建的でこちこちのわが家とは違い、開放的で明るいのが印象的で(うらや)ましかった。



彼の家の暮らし向きは、祖父の代までは村で一、二を争っていた。だが、彼の父親が遊び事に手を付けたため、私が出入りしていた当時の家勢は、彼の家の朽ちた瓦屋根のように傾いていた。だからなのかわたしの祖母は、彼の家に遊びに行って帰る度毎に、「遊び事に手を付けたら敗家亡身するのが必定(ひつじょう)だ」と、口癖のように繰り返し戒めていた。



私と同じ辰年生まれの李は、母親が私の祖母と遠戚の姉妹関係だったので、私にとってはおじきに当たる。そんな訳で親しく行き来していたが、ときたま彼の家のオンドル部屋に腹這いになり、兄上の書棚から『向上の道』などを抜き出しては、将来の希望を語り合った思い出がある。



人懐こくてきびきびした動作の李は、クラスだけでなく全校を通じての人気者だった。学業成績はクラスで中の上位だったが、ずば抜けた運動神経の持ち主で、鉄棒で逆上がりも出来なかった私は、体操(体育)の時間ばかりは彼に引け目を感じていた。皆が鉄棒の回りを取り巻き、彼の大車輪の妙技を眺めながら、「李はあたかも猿のように身軽だ。誰にもあのまねは出来ないだろう」、と褒めているときは、内心(ねた)みを感じることもあった。



希望する上級(中)学校入試に失敗し、悶々とした日々を送っていた李は、京都の同志社専門部に在学中の従兄に誘われ、内地(日本本土)の少年飛行学校に志願して合格した。おそらくその方が彼の適性に合っていたのかも知れない。一瞬にして彼は、村中話題の人物に押し上げられ、村人の歓送の中で内地へ渡った。



解放後、内地から戻って来た李は、見違えるように垢抜けしていた。歓迎をかねて自宅を訪れると、当時としては珍しい和服姿の少女のカメラ写真を手にし、『日本の女性はきれいだった。それに彼女たちの優しいことったらこの上ないんだ』、と自慢げに話してくれたのが忘れられない。



植民地から解放される前内地へ渡る人は、留学を目的とした人以外のほとんどが、無学の出稼ぎ労働者たちであった。だが、太平洋戦争末期には、多くの青年が強制的に徴用されて連絡船に乗せられ、炭鉱や公共の工事場で過酷な労働を強いられた。それでも当時、関釜連絡船(下関と釜山間を結ぶ)に乗って内地へ渡るのは、誰にも憧憬の的だったのは否めない。



李の話によれば、彼が入校した飛行学校は京都付近にあったらしく、京都の街の様子を誇らしげに語ってくれた。私の通っていた師範学校では、三年生の時に修学旅行で内地へ行くことになっていた。ところがわれわれの場合は、太平洋戦争の真っ只中だったので、残念にもその旅行はお預けのままだった。したがって彼の土産話がとても羨ましく思えた。



一九四六(昭和二十一)年の春、「朝鮮国防警備隊」(韓国軍)が創設されるや、李は喜び勇んでそれに志願した。飛行学校で訓練を受けた人材は、数えるほどしかいなかった当時である。彼の存在は、新設の国軍には欠かせなかったろうし、彼もまたそれが本望であったろう。



李は国防警備隊でも頭角を現し、得意の機敏さと飛行学校での体験を生かし、優秀な士官として将来が嘱望(しょくぼう)されていたとのことである。特に一九四九(昭和二十四)年末、韓国空軍の創設に際しては多大な貢献をしたと伝え聞く。今も彼を知る人達は口々に、「もし彼が戦死していなかったなら、何代目かの空軍参謀総長は間違いなかったろう」、と彼を持ち上げて惜しんでいる



ところが一九五〇(昭和二十五)年六月二十五日、青天霹靂(へきれき)のような六・二五韓国(朝鮮)戦争が勃発した。戦争初期の惨めな程不利だった戦況の中でも、李は単身「赤とんぼ」(単翼の軽飛行機)で幾度も出撃した。だが、残念にも戦争初期の同年九月、東豆川(北緯三十八度線付近)方面で敵情を偵察中、共産軍の地上砲火を浴びて墜落し華々しい戦死を遂げたという。偵察に飛び立つ前、危険だからと引き止める部下に対し李は、特有の笑顔で『天が崩れ落ちても這い出る穴はあるさ(窮すれば通ず)』、と明るく言い残して出撃したという。だが、天が彼を見放したのか、彼はついに穴から這い出て来られなかった。



李の母親は嘆き悲しみながらも一()の希望を捨てないでいた。「前途が九万里(洋々)のようなやつが、母親より先に行くとは!でも、生まれつき運の強い子だからもしかして捕虜として 生きているかも…」、神霊に祈っていた。



一九五三(昭和二十八年七月、六・二五韓国戦争の休戦協定が結ばれ、彼我の捕虜交換があったけれど、彼の名前はついに名簿には見当たらなかった。それから間もなくして、息子の帰りを待ち焦がれていた母親は、彼の名を呼びつつ永眠した。故郷(ふるさと)の見晴らしのよい丘の上に、彼の弟君の真心と周囲の誠意により慰霊塔が建てられ、彼の戦死した日を祭日に、若くして花と散った御霊(みたま)を慰めている。



 



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