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| 한국과 일본의 문화 |

제목: わが竹馬の友 (1)
분류: 한국문화
이름: 申鉉夏


등록일: 2020-08-16 08:30
조회수: 226 / 추천수: 30






 



 



                                          申 鉉 夏



                           



私の生まれ育ったところは、村の東西を小高い山に囲まれ、その中央を北から南へ小川が流れる小ぢんまりした典型的な農村だった。



ほとんどが藁葺(わらぶ)きだった百戸あまりの農家が、川を挟んで東西に分かれて点在し、互いに善意の対抗意識を燃やしていた。大半が貧しい小作農家だったけれど、子女 の教育にはとりわけ熱心だった。親たちは口癖のように言っていた。「たとえ食を欠くことがあっても、子女を学校にだけは行かせなくちゃ…。」就学が義務づけられていなかった当時、他の村に比べて学童の数が抜きん出て多かったのは、この親たちの教育熱のお陰だった。



村の住民は「申」名字たちがほとんどであり、他名字の人はたいてい申名字の婿たちだった。少数の他名字の人たちは、「この村は申名字の苗代(なえしろ)みたいだ。おれたち他名字のものは(ひえ)のような存在だし…」、と冗談(じょうだん)を言っていたが、名字の違いで揉め事が起きたという記憶はない。



一九三〇年代(昭和初期)当時、大きな面(町・村)には六年制普通(小)学校があり、小さな面には四年制普通学校しかなかった。したがってわれわれは、隣面の六年制普通学校に通うため、五キロ余りの道のりを六年間通い続けた。そのようなわけもあって、普通学校への入学は数えの九歳が普通で、中には十一、二歳の一年生も珍しくはなかった。



村の学童たちは登校時間に合わせて村の入り口に集まる。そして、教科書やお弁当の入った風呂敷包みを安全ピンでとめ、男子はそれを(たすき)がけに背負い、女子はそれを腰巻のように巻きしめ、リ-ダ-を先頭に列を成して登校した。当時村には時計のある家が一軒もなかったけれど、登校時間に間に会わなかった罰として、校門の前に立たされた覚えはほとんどない。



われわれのリ-ダ-は私より二つ年上の(チョン)だった。彼は、申名字の母親譲りなのか面倒見がよく、女の子たちにもかなりもてていた。特に隣村の子供たちとのいざこざは一手に引き受けて処理してくれるので、誰からも頼りにされていた。「あいつは漢方薬での甘草みたいで、うちのグル-プになくてはならない存在だ」、と頼りにされていた。



学校の名称が国民学校に変わって卒業した鄭は、温厚な日本人N校長にその充実さを認められ、母校の「小使(こづかい)」(当時は用務員をこう呼んでいた)に採用された。息子が出身校に勤めるようになったことは、彼の母親にはこの上ない誇りだったのだろう。わが家に寄っては、『ヒョナ(鉉夏)よ、学校のコチュカイ小使=韓国人は「づ」発音が苦手であるは偉いんか?』、といかにも認めてくれと言わんばかりの口調でたずねた。



道(県)庁所在地の師範学校に通っていた私は、休みに帰省して彼に会うのが楽しみだった。二年生の夏休みに実家に戻り、久し振りに鄭の家を訪れた私は、彼の机の上にあるノ-トを見て内心驚いた。彼は母校の用務員勤務のかたわら、東京から早稲田の『中学通信講義録』を取り寄せ、英語の勉強をしているではないか。すっかり感心した私は、『貴様、なかなかやるじゃない!これじゃおれもぼやぼやしておれんなあ』、と冗談交じりで褒め讃えた。見るにかなり大人びたような彼は、吸い始めたたばこの煙にむせびながら、いつものようににやにや笑っていた。解放(植民地からの解放=終戦)後気付いたのだが、英語を勉強したのが彼には命取りになったのだ。



師範学校四年生の夏休みに帰省して見ると、鄭は何をどう考えたのか知らないけれど、すでに日本の陸軍に志願して入隊していた。必死に引き止める母親に対し彼は、「どうせ二三年後には徴兵されるんだから、早めに志願して行ったほうがましですよ」、と言って入隊したそうである。私より二つ年上の彼は、そろそろ徴兵適齢に近付いてはいたけれど、それにしても志願までするのは解せなかった



彼の母親は、産月に近いお腹を抱えた嫁を気遣いながら、チョゴリ(女性の上衣)の付紐で目頭を抑えつつ、「あの子(嫁)がいくら引き止めても聞く耳を持っていなかったんだよ。君がいてくれたらどうだったんだろうかね。もし息子が戦死でもしたら、あの子や生まれてくる赤ん坊をどうすればいいのか…」、と涙ながらに訴えていた。



日本の敗戦により、日本軍に志願または徴兵された若者たちや、労務者として 徴用された男 たちが続々と郷里に帰ってきた。だが、母親や細君が待ち焦がれている鄭は、姿を見せるところか何ら音沙汰すらさえなかった。解放後三,四年が経ったころ、マレ-シアのとある捕虜収容所の監視兵だった彼は、C級戦犯として処刑されたとの(うわさ)を耳にした。



日本軍に入隊して南方に派遣された鄭が、イギリス軍捕虜収容所の監視兵だったとしたら、所属部隊の上官から指名されたのか、あるいは自ら志願したのかは知る由もない。だが、多少なりとも英語を解していたし、何事にも挑戦的だった彼の性格からすれば、おそらく志願したのに違いないだろう。



私は心の中で叫んだ。「そうだったんだ!英語を勉強したのが彼の人生を狂わしてしまったんだ。」その後、彼の母親は私と顔を合わせる度毎に、『早く死んで夫と息子の側へ行きたいんだが、あの孫のことが気になってどうしても死にきれないんだよ』、と口癖のように言っては、痩せた胸で深いため息をついていた。



還暦を過ぎて何年か経ち、「(ハ-ン)」の多い一生を終えた鄭の母親は、願い通り夫や息子の側へ行った。そして、若くして独りになった彼の細君も、孫達の子守をしているうち幽冥(ゆうめい)の境を異にした。今七十を目の前にした彼の息子は、村では評判の自作農家の主である。



一九九六(平成八)年二月、日本でのとある会合の席上、偶然戦犯のことが話題に上った。その場に居合わせた日本人親友が、関係する日本政府の要所に依頼して調べさせたけれど、B,C級戦犯の名簿の中に鄭の名前は見当たらないとのことだった。友人のご好意は有難かったが、だからと言って今更彼が帰って来られるわけでもなく、誰にもなんら慰めにもならなかった。



 



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