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| 한국과 일본의 문화 |

제목: Kとその時代(2)
분류:  
이름: 申鉉夏


등록일: 2020-08-07 10:38
조회수: 234 / 추천수: 29




私の郷里を流れる韓国最長の河川洛東江は、韓半島全土の約八分の一に当る東南(嶺南(ヨンナム)(注12地域を取り囲むようにして流れ、終わりに釜山(プサン)金海(キムヘ))国際空港辺りに広大で肥沃な三角州を形成しては南海に注ぐ、われわれには母親の乳腺のような河川である。韓国戦争当初、この洛東江防衛線が人民軍に突破されたとしたら、韓国はそのまま南海の藻屑とならざるをえなかっただろう。だから洛東江に沿って張られた防衛線は、国連軍にとってはそれこそまさにマジノ線だった。したがって洛東江をはさんでの彼我の攻防は、国家の存亡を分かつ戦いそのものだったので、多くの将来性ある若者の命を捧げることになる。中でも東部戦線で多くの犠牲を払った学徒兵の戦功は、韓国戦史上永遠に光り輝く金字塔であろう。「洛東江防衛線を死守せよ!」これが当時国連軍に下された至上命令だった。



九月十五日の夕方、ナショナルのトランジスタ-
ラジオにしがみつき情報を収集していた兵士が、気でも狂ったかのように大声を張り上げて叫んだ。「マッカ-サ-元帥指揮下の国連軍海兵隊が、
仁川(インチョン)上陸作戦に成功し目下ソウルに向かって進撃中である!」と。作業中の隊員が総立ちして万歳を叫んだ。そしていつの間にか互いに手を取り合い、こみ上げる熱い涙を拭いながら男泣きに泣いた。ラジオからは次々とわが方に有利な戦況が報じられ、洛東江戦線は目には見えぬがおもむろに動き始めていた。国道沿いの青い大豆畑に陣を張った師団砲兵隊が、新たに補給された一〇五ミリ野砲十数門を一列に構え、敵陣に向けてこれでもかこれでもかと撃ち込んでいた。戦況の不利で蓄積されていた鬱憤がたちどころに消え去り、歴史の大転換を予告するような気運に身が引き締まった。九月二十八日、夢にまで描いたソウル奪還に成功した韓国軍海兵隊が、中央庁(注13の国旗掲揚台に太極旗を掲げたと報じられた。





わが師団も待ちにまった北進を開始した。国連軍には新品のNISSANやTOYOTAの軍用トラックが補給されたが、われわれ政訓部は民間から徴発したトラックで我慢するしかなかった。当時すでにわれわれは直感していた。この戦争のお蔭で日本は必ず立ち直るだろうと。そのような中でもわれわれの戦意はいやが上にも昂揚し、口々に「早く三十八度線を越えねば!」と叫びつつ敵愾心をもやした。
北進
間中これといった戦闘はほとんどなく、人民軍捕虜負傷兵収容われながらの進軍だった。東部戦線北進中焦土化した街中にある戦前職場跡った。木造二階建ての雄壮な校舎は完全に焼失して跡形もなく、愛用していた竪型ピアノの焼け縮れた弦だけが、反響銅板にしがみついて秋風に震えていた。度重ねて下される師団司令部からの命令は、「盗み事をするな!」、「民間人に害を及ぼすな!」の二つだった。





わが師団も待ちにまった北進を開始した。国連軍には新品のNISSANやTOYOTAの軍用トラックが補給されたが、われわれ政訓部は民間から徴発したトラックで我慢するしかなかった。当時すでにわれわれは直感していた。この戦争のお蔭で日本は必ず立ち直るだろうと。そのような中でもわれわれの戦意はいやが上にも昂揚し、口々に「早く三十八度線を越えねば!」と叫びつつ敵愾心をもやした。
北進
間中これといった戦闘はほとんどなく、人民軍捕虜負傷兵収容われながらの進軍だった。東部戦線北進中焦土化した街中にある戦前職場跡った。木造二階建ての雄壮な校舎は完全に焼失して跡形もなく、愛用していた竪型ピアノの焼け縮れた弦だけが、反響銅板にしがみついて秋風に震えていた。度重ねて下される師団司令部からの命令は、「盗み事をするな!」、「民間人に害を及ぼすな!」の二つだった。






九月二十八日の夕方、韓国三大峻嶺の一番に数えられる竹嶺(チュクヨン)(注14にさしかかった。軍用トラックの走る道路の左右には、武装を解除された人民軍負傷兵が長い列をなし、あたかも幽霊の如く黙々と北へ向かって歩みを進めていた。われわれと銃口を交えて戦った敵兵ではあるが、彼らは同じ血を分け合った同胞ではないか。あのように餓え傷ついた不自由な体で、天を突く峻嶺をどのように越えようとするのか。その列の中には、20歳に満たない少年兵の姿が多く混じっている。おそらく避難が遅れて敵の占領地に取り残され、強制的に人民軍に入隊させられた若者達だろう。「戦争は絶対に起こしてはならぬ!」「戦争はなにがなんでも勝たねばならぬ!」




夕闇が迫りつつある竹嶺の上り口三叉路の手前で、交通整理をしている憲兵の手信号で車を止められた。小柄な憲兵の器用な動作に感心しているうち、それが間違いなく「K」なのに気がついた。「お-い、そこにいるのは『K』さんじゃありませんか!」トラックを見上げ私の顔を認めた彼は、「せんせ-、せんせ-!…」と声高に叫びながらも、体を回転させては近づく車に手信号を送っていた。次の番に彼の手信号で、私達の車を先頭にした長い列の軍用トラックが動き出した。私は大声で叫んだ。「お-い『K』さん!また逢いましょう!どうかご無事で…!」「K」は憲兵の腕章をはめた左手で手信号を送りながら、右手で恭しく挙手の礼を送ってくれた。その時の「K」の姿が今も鮮やかに脳裏に刻まれている。






私達の乗ったぼろの軍用トラックは、「風も休みやすみ 越えるこの峠…」と流行歌にも歌われている竹嶺を、あたかも這うようにあえぎながら登って行く。つづら折の峻嶺の曲がり角ごとに「K」の姿を探し求めては、敬虔な気持ちで武運長久を祈っている自分がいた。つるべ落としの秋の夕陽はさすがに傾くのが早く、すでに竹嶺の峰々は濃い夕闇に包まれつつあった。それでも私は何かに憑かれたかのように、闇の中に「K」の姿を探し求めつづけていた。それがこの世での「K」との最後になろうとは、神ならぬ身の私にどうして知りえたであろう。




十月三日、開天節。わが国の建国記念日である。わが政訓部も待望のソウル入城を果たした。遠回りをして中央庁にたどり着き、掲げられた太極旗に涙ながらに敬礼した。国旗を前に涙したのは生まれて初めてのことだった。全国民の恨みの的である北緯三十八度線の手前で、軍属は各自自由に行動して良いと告げられた。よっぽど北緯三十八度線を越えて見ようかと思ったが、熟慮の末職場に復帰することに決めた。まさに中共軍が満州平野に兵力を結集させ、人民軍を援護するため韓満国境を突破しようと企んでいた時である。私達にはその情報が伝えられなかったが、東京のマッカ-サ-司令部では戦争終結を早めるため、満州への原爆投下をアメリカ政府に進言した。ところが当のマッカサ-連合軍司令官は、アメリカ
トル-マン大統領によって解任された。






それから二年後のある冬の日の朝早く、韓国人通訳将校を伴った米軍将校が職場を訪れた。「K」の身元調査のためだという。当時憲兵上士に昇進していた「K」に重大な任務を与えるため、彼の身元に対し保証する人が必要だったらしい。そこで「K」が私を保証人に指名したので、調査官がわざわざ訪れることになったようだ。「これはどういうことですか?」と訊ねる私に調査官は、「軍の機密ですのでご質問にはお答えできません。」と返すだけだった。私はことの次第をつかめぬまま、調査官の質問に「K」に有利なように返事した。後で軍事に詳しひ僚にそのことを話すと、北朝鮮へ送り込む北派工作員(注15に選ばれたのではなかろうかという。どのようにした方が「K」に有利だったのだろう。その後「K」の消息を確かめたが、いまだにその誰にも知らされず知られていない。




息子の消息を待ちわびていた「K」のご母堂は、老衰と傷心のあまり病床に伏しがちだった。旬の山菜や果物を母の手元に届ける役は、おのずとお嫁さんの「K夫人」に代っていた。それから三年後、息子の帰還を待ちきれずご母堂は静かに永眠した。その後も「K夫人」
のわが実家通いは続けられ、母とは姑と嫁のような昵懇の間柄になったが、母が亡くなられてから数年後、夫君の名誉除隊を夢見つつ他界された。韓国戦争で多くの若者が戦死または傷ついたが、一九五三年に休戦協定が調印されてこの方六十余年、いまだ未帰還の将兵が数万に上るとの報道があって間もない。




一九四六〈昭和二十一〉年、解放の喜びが冷めぬ中で生まれた「K二世」は、その英明な素質と勤勉努力により、嶺南地方唯一の教育大学を優秀な成績で終え、模範教師として新聞紙上にも名を挙げるほどの教育者となった。地方の教育委員会で奨学士・奨学官を勤め上げ、多くの初等学校(小学校)の校長職を長年勤め定年退官した。もう老年期に入った彼がわが家を訪れては、「先生を父親のようにお慕い申し上げます。」と口癖のように話している。そして「一人息子だった自分は二男三女の父親ですので、宗家の宗孫としての役割は十分果たしました。」と自賛している。定年退官後は悠々自適の日々を送りながら、K氏門中の会合にも顔を出し指導しているようだ。




「K」とその時代なる本稿は、激動の韓国現代史の一側面を物語っている。そして私の人生の一側面ともダブッている。偶然に結ばれた「K」一家との奇しき縁は、多くの追憶を残しつつ今尚続けられている。遠からずして「K二世」の七旬(七十歳)を祝う催し(注16の報せが届くだろう。その宴の席上で何を語ろうかと思案しつつ本稿を閉じる。                        




二〇一五年 初春






 



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