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| 한국과 일본의 문화 |

제목: 帰化の将「沙也可」、金忠善になる (2)
분류: 한국문화
이름: 申鉉夏


등록일: 2020-09-17 15:08
조회수: 148 / 추천수: 46




金忠善に関する記録に対する論詰



沙也可の書信の内容について



沙也可に関する記録によれば、日本人武士の沙也可がほとんど朝鮮の儒学者のような慕華思想に根拠し、華麗な文体で朝鮮と中国の文物を欽慕して降伏するという書信をもって帰順したとある。当時日本の武士達の知識水準は非常に劣っていて、僧侶達にこのような書類業務を代行させる実情にあったが、その僧侶達も朝鮮や中国式とは多少距離のある日本式文章を駆使する場合が多かった。なのに日本人武将の沙也可が、朴晋に送ったような朝鮮式の優麗な文章に通じていた可能性は低いと見る。



○投降兵力の記述について



『慕夏堂文集』によれば三千に近い兵力を率いて投降したとある。その説が正しいなら当然日本側にもそれに伴う記録がないはずがなく、戦場の状況にも大きな影響をもたらしたはずなのにそのような形跡がどこにも見当たらない。当時このような兵力を率いる権限と地位を保有しているなら大名級なのに、もし戦線で離脱したとするなら記録さえ残らないはずがない。



それ故投降した人数も数千名の規模でなくたった一人だったのか、あるいはたとえ部下を引き連れて降伏したとしても、あくまでも少数の部下だけを引き連れて降伏したものと見られもする。その真偽は今もって定かでない。



○降倭の発生時点について



『慕夏堂文集』で金忠善は、この戦争は名分のない悪い戦争と見て上陸直後に降伏したとなっている。初期の朝鮮軍は降伏する倭軍をみな殺していたので、この時期には降伏者の身の上の安全は保障されなかった。もともと電撃戦に近い快速進軍を重ねていた開戦初期の日本軍が、降伏する理由が現実的に全くなかったと見てよい。『宣祖実録』で沙也可など降倭に対する論議は、明軍の参戦で戦況が日本軍に大いに不利になり、日本軍の死傷者が続出した一五九三年頃当たりに登場する。



よって沙也可の実際投降時点は上陸直後の一五九二年でなく、上陸してから時間が少し流れ日本軍が不利になった以後の一五九三年とし、実際の投降動機は単純な生存のためだったのか、ある種の事情により豊臣政権や加藤清正の支配下では生存できない立場だったと推測されもする。



○『慕夏堂文集』の信憑性について



この文集はもともと沙也可が書いた記録が紛失され、六代後の子孫がそれを再発



見して再び刊行したという但し書きがついている。実際には行状流記録に近いという話だが、行状は後裔達が祖先を崇め慕う念を盛って美化するのがしばしばで、このようになれば信憑性にも限界が生ずる。このような論詰からして、『慕夏堂文集』はその骨組みが事実に根拠したものと見られはするが、細部にわたっては徹底した資料の批判が必要であ



 なお金忠善は本人自ら多くの文を書き残したにも拘らず、朝鮮に帰化する前日本でどんな人物として生きたのかに対する記録が残っていない。『賜姓金海金氏世譜』23に記されたように、一五七一年に七人兄弟の末っ子として生まれ、日本にいるときすでに結婚して妻がいたし、父、祖父、曽祖父の名前程度が伝わっている来歴の全部である。金忠善の日本での生活に対する証言がないのは、『慕夏堂文集』の解題のように関連記録が家蔵されていたが失火のため大部分が消失されたのか、本人自らが日本での過去に対し言及しなかったためなのか明確でない。



 それは金忠善がもともと日本軍の先鋒将だったからではなかろうか。驚くべくも



侵略軍の先鋒将が突然朝鮮軍の将軍に変身し、祖国日本軍を攻め込む数多くの戦闘



で赫々たる勲功を立てたのだ。自ら文集中の「述懐の歌」24で悲しい思い恨めしい



意を事実通り言ったように、祖国に残した家族達が自分のため処刑されるか苦痛を



被るのは想像もしたくなかったかも知れない。



 思うに家族の安全のためにも、金忠善は自分の正体を事実どおり明かすわけには



いかなかったのではなかろうか。朝鮮でも一七六一年十一月十二日に至ってやっと、



沙也可と金忠善が同一人物だという事実が『承政院日記』にはじめて記録される。



壬辰倭乱が終わってからなんと百六十四年の後、本人が亡くなってから百二十年が



たってから始めて、沙也可と金忠善が同一人物だという事実を政府が公式的に認め



たのである。それほど沙也可は朝鮮が保護すべき国際的人物であったのであろう。



 それ故当然ながら金忠善の実体に対しては諸説が存在する。金忠善が鳥銃と火薬



の製造技術を朝鮮軍に教えたという事実に注目し、日本和歌山県鉄砲部隊の鈴木孫



一(雑賀孫一または一郎)を沙也可と主張しもする。だが鈴木孫一が豊臣秀吉と対



立した反対勢力の人物であったのに、どうして加藤清正軍の先鋒将になれたのかと



いう疑問からして原田信種を沙也可と見もする。また壬辰倭乱のとき朝鮮に帰化し



た岡本越後守を沙也可と主張する見解もある。壬辰倭乱参戦日本軍将軍の朝鮮帰化



を最初に日本に知らせた司馬遼太郎は、沙也可は対馬出身だと主張しいる。



金忠善には日本にも家族がいたと思える。前述したように朝鮮に帰化した後、日本に残した家族を懐かしんで詠んだ詩が数編残されている。けれど彼が転向した罪で皆殺しにされたのか、彼の後裔を自ら認める一族は日本にいないという。金忠善が日本では誰だったのか正体さえ不明な状態なので、日本で彼の後裔を探そうとしても大して意味はなさそうである。



 



 



『注1』の乱



     一六二四年、暴君光海君を廃し仁祖を朝鮮第十六代王位に付けさせた「仁祖反正」の時、李の功が多かったにも拘わらず二等功臣に冊封されたし、加えて平安兵使兼副元帥に任命され外地に赴任させられたのに恨みをもち、事前に緻密に計画して叛乱を起したというのが従来の通説である。



『注2』丙子胡乱



一六三六(仁相十四)年十二月から翌年一月にかけ、清国が朝鮮に対し第二次侵入で起きた戦争である。丙子年に起きて丁丑年に終ったので丙丁虜乱と呼ばれもする。



『注3』『慕夏堂文集



     一七九八年、金忠善の後裔である金漢祚が金忠善の文と筆跡を集めて刊行した。一八四二年、改修本が発行されている。



『注4』本貫



     個人の始祖が生まれた所または姓の出自地。貫籍・本籍・姓貫・籍貫ともいう。普通姓と併称され個人の父系親族の範囲を表すのに使われる。



『注5』兵馬節度使



     朝鮮時代、各道の軍事的な指揮を効率的にするため設置した従二品武官の官職。



『注6』尭舜三代



     尭王、舜王を代表とする賢王達が治めた夏・商(殷ともいう)・周時代を意味する。中国の古代王国である。



『注7』嘉善大夫



      朝鮮時代、従二品の文官と武官に与えていた品階で従二品の下階である。



『注8』資憲大夫



     朝鮮時代、正二品の文官と武官に与えた品階である。初期には文・武官にのみ使ったが、一八六五年からは親族、宜嬪の品階にも使われた。



『注9』仍防



辺境の将を長らく任命し北虜の侵入を防ごうとする上疏である。



『注10正憲大夫



     朝鮮時代、正二品の文・武官に与えていた品階である。正二品の上階に当り資憲大夫より上位である。



『注11賜牌地



      賜田または別賜田ともいうが、国家や王室に功をたてた臣下に王が特別に下賜する土地をいう。



『注12守禦庁



      朝鮮後期に設置された軍営。朝鮮後期の五軍営の一つで、ソウル東南方の防御線である南韓山城を改築し、この一帯の防御のため設置した



『注13丁卯胡乱



      一六二七年、満州(中国東北部)に本拠をおいた後金(清)の侵入で起きた朝鮮と後金間の戦いである。



『注14 鹿洞書院



朝鮮中期以後、学問研究と先賢祭香のため士林によって設立された施設である。書院は教育機関であると同時に郷村の自治運営機構でもあった。 鹿洞書院には金忠善の位牌を奉安してある。



『注15 兵曹判書



朝鮮時代、軍事関係業務を総括した兵の長である。現在の国防相に相当する。



『注16』『宣祖実録



『宣祖昭敬大王実録』または『宣祖実録』は、一五六七年陰の七月から一六○八年陰の二月まで、朝鮮宣祖時代の史実を記録した実録である。総二二一巻一一六冊に構成されていて、『朝鮮王朝実録』の一部を成している。



『注17』『承政院日記



      朝鮮時代、王命の出納を管掌していた承政院で毎日毎日取り扱った文書と事件を記録した日記で、韓国のみならず世界でもっとも膨大な歴史記録の一つである。一九九九年四月九日に国宝三○三号に指定されたし、その豊富な内容と正確な記述はユネスコにより世界記録遺産として登録された。



『注18 僉知



朝鮮時代、中樞院に属する正三品武官の位。



『注19開港期



一八七六年、日本との間に丙子修好条約(江華島条約)を結ぶことになる。これにより従来の社会秩序を打破し近代的社会を志向していった時期をいう。当時日本と修好条約を結ぶことにより鎖国の門が開かれるや、その後他の国とも続いて通商条約が結ばれ先進文物に接するようになった。



『注20解放



       拘束や抑圧、不当などから免れるようになる。わが国は、一九一○年、日本帝国の植民地となり、一九四五年八月十五日、日本帝国の太平洋戦争敗戦により植民地から解放された。八月十五日は解放記念日である。



『注21『朝鮮王朝実録』



      朝鮮太祖(在位、一三九二~一三九八)から哲宗(在位、一八四九~一八六三)の歴史を編年体に記録した本。



『注22集姓村    



集姓村は、同姓同本の同族が集団的に居住し多数を占める村をいう。同族部落の集姓村は、壬辰倭乱と丙子胡乱以後大いに生じたのだが、これは戦乱により伝統風俗が破壊され、十七世紀から性理学的イデオロギ-と中国的風習が相続と婚姻にまで強力に移植され、父系中心の家父長性が定着したためである。



『注23賜姓金海金氏世譜



     王から賜った金海金氏家門の系譜を代々収集して編んだ本。



『注24述懐歌



金忠善の心情を歌ったものとして『慕夏堂文集』に載せられたものである。そ



の中に、「意中に決断し先祖の墓地に別れを告げ、親戚と離別し七人兄弟と二人の妻がみな去るので、悲しい思い恨めしい意がないとすれば空世辞である」という一節がある。



 



 



 



 



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