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| 한국과 일본의 문화 |

제목: 韓国の멋(風雅)(3)
분류: 한국문화
이름: 申鉉夏


등록일: 2020-08-28 09:45
조회수: 229 / 추천수: 44




韓国舞踊の



韓国的なリズムの変化はその他の民謡にも見られるが、ここでは3拍子のリズムが韓国舞踊にどのように風雅を添えるかに焦点をしぼってみる。



韓国の踊りは3拍子系のリズムによって支えられているので、舞いの動作からは優雅さとともに「遊び」を感じ取ることがでる。この「遊び」は踊りに余裕を持たせるとともに、舞う人に個性を生かせる空間を与えてくれる。だから韓国舞踊は群舞の美しさもさることながら、個性的な美を十分に生かす独り舞いの、すなわち風雅はたとえようのないものである。



たとえば「われわれの身振り」と言われる살풀이 (サルプリチュム<チュムは舞>)は、持って生まれた悪い命数を避けるため、巫女をさせて行う厄払いの儀式舞である。この舞は歌い役者集団판소리につけて歌われた歌とともに踊ったもので、祟りを解すという意味を持つ踊りである。白い手拭きを持ち、独特な살풀이 のリズムに合わせて舞う姿からは、静中動の美しさを感じることができる。



살풀이 は天を志向する西洋の舞と違い、もっとも韓国的な文化を盛っている統的な舞で、地を志向している。したがって「動く」と「止まる」という反対概念も一つに抱擁することができるという。われわれはこの舞から韓国的な身振りを見るべきである。国楽や陶磁器、建築のような分野はどうしても中国の影響が強い。しかし、舞、その中でも民族舞は中国の影響がほとんどないと言えるほどに独自的である。体で舞うからである。



また尼僧の俗離れした身振りの승무(スンム<僧の舞>)は、世俗のことに悩まされる煩悩と桃の花のような肉体の浮かされた情熱から逃れるために、静かに、されど激しく飛翔する身振りの舞いである。この승무はわれわれをして「幽玄」の境地へいざない、「神秘的な美しさ」を感じさせる。その美しさは夜と沈黙の中からにじみ出る光であり、聖なるものの結晶であるといえる。



 この舞は韓国の民族舞踊の中でももっとも伝統性の高い舞である。音楽は三絃六角の念仏・打令(音曲の一つ)・(巫楽の儀式に鳴らす)拍子を演奏し、舞踊手の装いや鼓を打つ場面は仏教の服式と法鼓舞から来たのである。승무の静中動の遅い舞動作は儒教の価値観から来たように見られる。特に肩の丈が長い黒染めの僧衣の端まで波長をなし、その波長が腰と脚を伝って白い足袋の鼻先に表出され、青い치마の下に見え隠れする足の動作に魅力を感じさせる。



結論的に言えば韓国舞踊は、「儀式舞い」、「宮中舞い」、「民族舞い」、「新舞踊」などに分けられるが、その舞いの様式はどれも似通っている。韓国舞踊の原形は「フン)」、すなわち「興」を肩に受け、「節度」を保ってこれを遠心的させすなわち「風雅を演ずるところにある



は韓国舞踊の態度であり、「節度」は方法であり、「はその本質であるといえる。そしてそのを支えているのは三拍子のリズムそのものである。



 



若い世代はしだいに伝統美をおろそかにし失いつつあるようである。その理由はなんといっても情緒の枯渇が最大の原因ではないだろうか。心の余裕をもって伝統美から情緒を感じ、人間の貴重な資産である情緒をとりもどすべきではないだろうか。



 



 



「注:一」実事求是



      中国清朝時代の学問方法論。<修学好古 実事求是>という言葉からその淵源を知り得るように、実際の事実から真理を求めるという意味を持つ。韓国の場合、朝鮮王朝英祖(一六九四~一七七六)・正祖(一七五二~一八○○)宗時代の実学思想として展開された実事求是思想は、以前の空理空論や旧制度に対する反動的性格の学問的態度といえる。



     また実事求是の学風は、実学思想と開化思想を通して実現されたけれども、今の現実で学問と実践の反省的意味で使われもする。



     実学思想において実事求是の問題意識を確固にした人としては、丁若鏞(一七六二~一八三六)と金正喜(一七八六~一八五六)を上げることができる。経済学、科学、医学にわたる膨大な知識を持っていた丁若鏞は、西学(洋学)を受け入れ学問の科学性と公正性を重視して実事求是の学風を開いたし、北学(清朝学)派を継承した金正喜は、実事求是説などを通じ実学思想を集大成したといえる。



     また実学思想と開化思想の架橋役割をした人物だと言える朴珪寿(一八○七~一八七六)は、実事求是を語る時に除いておけない人物である。『燕巌集』の著者である朴趾源(一七三七~一八○五)の孫でもある彼は、利用厚生の学風を幼い時から自然に受け継いたし、顧炎武(一六一三~一六八二、明朝末・清朝初の思想家・学者)・丁若鏞の影響を受けて実事求是の思想を展開した。



        以後、実事と実用を強調する実事求是の学風は開化思想へと繋がる。金玉均(一八五一~一八九四)、朴泳孝(一八六一~一九三九)、洪英植(一八五五~一八八四)、愈吉濬(一八五六~一九一四)など開化派達は、開化党の機関紙<漢城旬報>などを通し「利用厚生と富国強兵の実事求是」を力説して出る。



     このように実事求是は、内容はなくうわべだけの旧態を抜け出て実際の生活から再出発しようとする、自己覚醒と自己反省の近代志向的思想であり学風であるといえる。韓国文学史においても近代志向の一つの出発点として、朝鮮時代の実学思想とそれに関連する文学が注目されている。



 



「注:二」白衣民族



      韓民族を「白衣民族」、または「白民」と略称もする。十九世紀、韓国に出入りした多くの外国人は、「韓国人が男女を問わずみな白衣を着ているのに強い印象を受けた」と記している。



     一八九五年、全国に変服令(簡素で便利な衣服に変えるようにとの命令)と断髪令(それまで結っていた髷を切るようにとの命令)が下るや、これに抗議する義兵戦争が起きた事実はあまりにも有名である。その後も白衣の習俗は依然として続き、「人々が雲集する市場はあたかも綿畑のように白い。」と外国人旅行者達は記している。



      史学者崔南善(一八九○~一九五七)は『朝鮮常識問答』で、「朝鮮民族が白衣を崇め尊ぶのは遠い昔からそのようにして来たことで、数千年前の扶余人とその後新羅と高麗、そして朝鮮の歴代王朝でも一様に白衣を着た」、とその由来の久しさを強調した。



      しかし、彼はまた「宗教的であるか礼式上着るのは別に考えるとし、一般的に日常着る衣服を白にするのは時代に合わせるのを知らぬ愚かなことである。」としながら、白衣を脱ぐべきだと主張した。このような知識人達の反対にも拘わらず、一九四五年、日本帝国の植民地から解放されるまで、色物の生地の衣服(黒服)の着用を頑なに拒んだのが韓民族の固執であった。



韓民族が白衣を崇め尊ぶ習俗については、三世紀に編纂された中国の史書『三国志』魏書《東夷伝》に記録されている。すなわち扶余の「在国衣尚白」だとか、弁辰の「衣服浄潔」だとか、高句麗の「其人潔清」などの記録ががまさにそれである。



これによって白衣は三韓(辰韓・弁韓・馬韓)・三国(高句麗・百済・新羅)時代以来の長い遺習なのを知り得るし、高麗・朝鮮時代に至っても変らないのを数次におよぶ白衣禁止令を通して知ることができる。



     このような事実は、白衣の習俗が粘り強くわれわれの衣生活を支配したというのを物語っている。特に赤ちゃんに白衣を着せ、死ぬときもまた白衣を着せるので、韓国人はみな揺りかごから入棺に至るまで白衣の一生を終えたといえよう。



     また韓民族の衣生活は度重なる外来衣装の流入にも拘わらず、民族固有衣装の白色の바지バジ<男性の下衣、または女性치마下に着る下着)치마(女性の下衣)、そして저고리(女性の上衣)という基本形を最後まで固守してきた事実を知り得る。 白色は天と地を意味する究極の色であり、不滅の色だと称せられている。だから白衣の習俗は、単純に衣服の生地のため偶然に選択された考えであるというより、天と地を崇拝する民族固有の信仰に根ざしていると見るのが正しいといえよう。すなわち祭祀の時に白衣を着、白い餅・白い酒・白い飯を用いるという慣習が天に祭祀を奉ずる意識から由来したように、白衣もまた天祭から由来したと見るべきである。



     このように喪服までも天祭に由来したのを容易く知り得るし、三韓・三国時代に日本に渡って行った韓国人達が、白衣の習俗を彼らの神社の神官の服装に残した事実を理解できそうである。



     日本帝国植民地主義者達は韓国人が白衣を着るわけをいろいろと歪曲した。たとえば鳥山喜一(一八八七~一九五九)は彼の『朝鮮白衣考』という論文で、高麗がモンゴルの侵略を受けて国が亡びるや、亡国の悲しみのため白衣を着始めたと主張した。また柳宗悦(一八八九~一九六)も白衣民族の由来を「この民族の経た苦痛、多くの歴史的経験」のためだと主張しながら、白衣をあたかも喪服であるかのように錯覚している。



 



[注:三] 附椽<婦椽>



    昔のことである。宮殿を建てる大工頭がいた。王の命を受け宮殿を新築していたのだが、うっかり計算を間違え軒の垂木をあまり短く作ってしまった。元来古建築は大工頭が計算をして墨糸を引いたら、その下で働く大工がその通り加工することになっている。ところが問題は数百個にのぼる垂木をみな捨てることになったので、大工頭は心配で夜もろくろく寝つかれなかった。



    このようなお舅を気の毒に思った嫁が、どんな心配があるのか訊ねると



大工頭のお舅は事実を話した。しばらく苦心していた嫁がお舅に妙案を出



した。その案とは短く切った垂木を付け直すことはできないので、新たに



もっと小さくて四角い垂木を付けて連結し軒を持ち上げれば、より見栄え



の良いものになるというのである。大工頭は嫁のいう通り四角い垂木を椽



の端に連結し試しにもう一軒を建ててみたのだが、軒が持ち上げられたの



で屋根の曲線が飛翔しているように見えたし、美的にももっと見栄えが良



かった。



    様からも褒められ賞を授かったし、残りの建物もそのように建てるよ    うになったという。それからその垂木を「嫁の垂木」という意味で「婦椽」    といった。今に至っては「附ける垂木」という意味で「附椽」という。



 



「注:四」단청(タンチョン <丹青>)  



     단청(丹青)とは木造建築物に五色の紋様を描いて美しく荘厳に装飾したものである。その歴史は先史時代に始まり、神に祭祀を行うときに祭壇や祭祀長の顔を飾ることなどから由来した。



      단청は見る人に神秘感を与え、雑鬼を追い払う辟邪の意もあり、威厳と権威を表して三国時代に盛んに流行した。단청の原料である顔料は真彩といって鉱物質を使うが、この青丹が日本の奈良地方にも多く出土する。



      단청の五色は五行の思想と関係があるという。すなわち青は東で、竜であり、季節は春で、五行は木である。赤は南で、雀であり、季節は夏で、五行は火である。白は西で、虎であり、季節は秋で、五行は金である。黒は北で、玄武であり、季節は冬で、五行は水である。黄は中央で、季節は土用であり、五行は土である。



      단청の五行思想には現世の康寧と来世の祈願が宿っている。そして단청は木を雨風と病虫害から保護する漆工事でもある。



     あをによし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり (万葉集 三二八)



朝鮮半島からの渡来人たちは奈良をソウルとし、自分たちの建設した華麗な都を誇りとしかく賞賛した。「あをに」(青丹(あおに))は韓国語での丹青(タンチョン)단청)である。青丹(岩緑青(いわろくしょう))の原料である顔料は真彩といって鉱物質を使うが、この青丹は奈良地方に多く出土する。



 



「注:五」『춘향전(チュニャンジョン) <春香伝>』



     洋の東西を問わず時代を超越し、文学は持続的に人間の愛を歌い物語ってきた。朝鮮時代の文学もまた愛を形象化する多くの作品を残している。ここに掲げる『春香伝(チュンヒャンジョン)』も、男女間の最高でもっとも温順な愛の話を素材にした朝鮮後期の代表的作品である。



     スト-リ-を要約すれば、全羅道南原地方の代官の息子である両班(官僚・有識階級)の李夢竜(イモンリョン)と、妓女の娘である賎民の成春香(ソンチュンヒャン)の性愛を素材にした愛情物語である。



紆余曲折の末二人の愛は成就するが、ここで注目すべきことは、朝鮮後期に量産された愛の叙事を見れば男主人公は主に両班の男性であるのに反し、女主人公は多くの場合賎人である妓女(医薬、鍼灸、裁縫、歌舞などを習った官婢の総称
)であった。



では「なぜ愛の主体が同じ階層出身の男女でなかったし、身分的差別が甚だしかった時代になぜ両班の男性達は愛の対象として賎民女性の妓女を選択したのだろう。」という点である。



朝鮮時代の妓女は「女学」という公式的肩書きの中で、宮中の宴会や地方官庁の儀礼に参加していた芸人のうちの一つであった。だがその他の男性芸人達、すなわち良民または賎民の男性達で構成される楽工や楽生達が、官が要求する技芸の演行を主な任務としていたのとは異なり、妓女集団は賎民女性という条件の中で、支配層男性達の宴会に私的に動員されたし、時には性的奉仕を遂行する役割を与えられていた。



このような妓女が処した条件は、身分的に性的に他者だった特殊層女性達を結婚制度外に配置して活用した、前近代社会遊戯文化の特殊性に起因する。ところで身分制の作動により可能だったこのような前近代文化の中で妓女は、両班男性達の風流を媒介しながら上層部文化の芸術的・遊戯的感覚を獲得し、知的な教養と機知を地に支配層社交文化に参加した唯一の女性集団でもあった。何よりも彼女らは両班男性達との私的な交流を通し、家族制度の中では公然と表出できなかった性愛を体験した主人公達である。



その結果両班身分の男性と妓女は朝鮮時代後期に至り、身分制と儒教的家父長制を基盤とした前近代式愛のアイコンとして位置するようになる。まさにこのような社会文化的な背景の中で、妓女成春香と両班子弟の李夢竜との愛を素材とした「春香伝」が誕生することになる。



 



 



 



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