KJClub 입니다.
홈페이지이용안내    질문과답변    홈페이지가입회원명단    이메일   
현재접속자:

| 한국과 일본의 문화 |

제목: 韓国の멋(風雅)(1)
분류: 한국문화
이름: 申鉉夏


등록일: 2020-08-28 09:36
조회수: 118 / 추천수: 26




 韓国の(風雅)
(1)



 



               



                                



                                               申  



 



 



『新韓国語大辞典』によれば、mʌt)とは、身なり、行動、人となりなどが、興味をそそる洗練された状態や美しさとなってい



また、民衆書林の『韓日辞典』で「」の項を見ると、一)みなり、体つきなどがしゃれている、粋である、二)風流、風雅、趣、三)物事の真の味、四)たとえば「들어지다(モットルジダ)」は、しゃれている、いかすという意味であり、「있는 남자モシッノン ナムジャ)は、な男、恰好いい男という意味であり、없다(モドップタ)」は、粋でない、野暮だ、野暮ったい、無粋で恰好もない、「지다(モッチダ)」は、素晴らしい、素敵だ、見事だという意味をさすとある。つまるところとは、「風采、容貌、風致、事物の真の味をさすことばである」と意味づけられる。



次に、日本の『広辞苑』で風雅を引いて見ると風雅は、一)漢詩の六義中の風と雅と。二)詩歌・文章の道。文芸。三)蕉門では俳諧。四)みやびたこと。俗でないこと。風流。文雅などとなっている。



と風雅は全くの同意語ではないが、日本語で話を進める上において流れを円滑にするため、二つの言葉を入り交えて使うことにする。



のようにの意味を捉えると、生物であれ、無生物であれ、およそ形のあるものにはそれなりの、すなわち風雅が備わっているといえる。そして、それは巨大な泰山の雄姿からうごめく一匹の虫けらに至るまで、見る人や感じる人によって多様な角度から現れるといえよう。



だが、風雅も時代と思潮の変遷につれてその様相や概念が変るようである。たとえば昔は風流に見え感じられたのも、時代が流れるといつしか色あせてしまう傾向が強い。おそらくそれは、時代感覚や流行性からくるのではないだろうか。



ところが時代感覚や流行性とはなんら関係なくいつの世にも変らぬ風雅がある。それはほかでもない固有の伝統美といってよいだろう。この伝統美こそ時間がたてばたつほど、一段と燦然たる光輝と馥郁たる薫りを放つのである。



韓国人は同じ文化圏の中にある中国人や日本人に比べ、大変独特な美感覚を持っているように見られている。たとえば中国や日本の美術は、完璧美または対称美を志向しているようであり、美術品は大変古典的だと言われている。それには規格と秩序があり予想することができるという。それに比べ韓国のそれは、これらの国の美術品に見える秩序を嫌う傾向が強く破格があるという。



もちろん韓国にも古典的な作品がないわけではないが、大方は脱規範の方に傾いているようであり、これは他の芸術においても同じである。このような傾向は特に音楽や舞踊で目立つのだが、なぜ韓国人だけがこのように独特な美感を持っているのか理解に苦しむ。美術品や音楽あるいは舞踊が、韓(朝鮮)半島に入って来さえすれば自由奔放になるわけがよく分からないのである。



これまでにとかく無心に見過ごされてきた韓民族の魂と情緒が脈みゃくと流れている伝統美、民衆の生活の中に芽生え培われた韓国人の風雅と美につき、いくつかのジャンルに分けてその片鱗をうかがうことにする。



どの民族の場合も同じであるだろうが、韓国人の性分と姿、韓民族の身についている、すなわち韓国の伝統美は、韓国の独特な山河の性情から育み培われたものであるのはいうまでもない。



韓国の山河はさほど険しくもなければ繊細でもない山並みが、肥沃とも言えないけれどもやせてもいない平野を取り囲んでいる。大きな悲しみもないかわりにだからといって大して恵まれてもいない、つつましい自足の生活に甘んじながら暮らしてきた妙な哲学の国・韓国は、あの西欧の舌をとろかすような濃い蜜や、芳しい香りが鼻をつく葡萄酒よりも、淡泊な乳や清水の流れる蒼空の国といってよい。



このような山河の性情は、韓国人の品性と姿を映す鏡だという感じがする。長い歴史を経る間、韓民族の心に積もりつもった憂いと懇願、それに満ち足りた喜びと笑いが入り交じったように思える山河の姿と自然の声の中に、韓国の造形美のあらゆる影像を見ることができる。



もし誰からか韓国美術のうちなにが代表的なものかと問われたら、われわれはためらわずに工芸品を上げることができる。それは気品があり、善良で、おおまかでありながら、それでいて廉恥をたっとんだ民族の心と自然の意思がともに育み培ったからである。



その代表的なものは長く細く、ときには傲慢で、ときには悲しみをたたえている高麗青磁の娟えんたる曲線美であり、そして気品があり、着実で、稚気でありながらも健康そのものの李朝磁器である。



至純な民族の息吹が息づいているような磁器について、もう少し詳しくうかがってみよう。



 



高麗青磁



雨が上がり霧が晴れると、遠い山の尾根越しに澄んだ空がくっきりと浮かぶ。その時の微妙ともいえる空の美しさはよく青磁の色にたとえられ、「雨後晴天色」ということばが生まれた。無心に高麗青磁の青い色に見入っていると、ほんとうに雨が上がった後の高い空を眺めているように自ずと心が落ち着くのを覚える。高麗人はこの青磁の色を「翡色」、すなわち「翡翠の色」と名づけた。



高麗人はおそらくまるで彼ら自身の長い間の憂いと念願、哀歓をひとまとめにして漉したような青い色、威張ることも、あざけることも知らない、そしてときには微笑み、ときにはささやくような、さらにときには深い思いに耽っているような孤独な青い色に魅せられたのに違いない。



この<青い空>をうたった一編の詩がある。



     



じっと空を見つめていると



     まつげが青く染まる



     両手で温かい頬を撫でると



     手のひらにも青い色が染まる



 



一九四五(昭和二十)年二月、すなわち日本帝国の敗戦の年の春、愛国・独立運動をしたかどにより惜しくも二十七歳の若さで日本福岡刑務所で獄死を遂げた愛国詩人尹東柱(ユントンジュ) が、かつてこよなく愛した祖国の青い空を歌ったものである。



韓国の空は世界中でも稀に見る青空である。そして実際に青磁の澄んだ青色を見つめていると、愛国詩人尹東柱の手のひらに青い色が染まったように、われわれの網膜も青く染まっているような幻想さえ起こるのである。



青磁は10世紀ごろ中国の杭州湾の窯から渡ってきた。どちらかと言えば泥臭い中国の越州秘色が、清く澄んだ高麗の空の下でいちはやく新しい姿に衣替えした。そして高麗人の呼吸であり、韓民族の永遠にさめない夢となったこの淡泊で澄んだ青色は、言うならば志操、すなわち「志」と「操」の美しさであり、過去の長い歴史の間韓国人の生き方の基本をなしていた。言い換えればこの淡泊な青い色が謙虚と志操の美しさ、そして思索と静寂の美しさであり、自制の美しさであると言える。



高麗青磁の美しさはその曲線にあるいう。



始まりも終りもないような細長い線、もろいようで柔軟な曲線、清楚で娟えんと



した高麗青磁の美しさはほとんどこの曲線の力による。



このような高麗的曲線のうちでも真っ先に指折られるのは「梅瓶」である。口部



が小さく、肩部の線が豊かで、脚部が徐々に狭くなって行く形態の瓶である。豊かな肩に小さな口を上品にすぼめた青磁の梅瓶を眺めていると、いらだっていた気持も春の雪が解けるように安らぐのである。



なめらかな腰に気品のある糸底、すぼめた小さな口の中には、ちょうど高麗人の長い念願がいっぱいこもっているようである。親しみ深く上品な青磁の梅瓶を見つめていると、白くか細い指でこの瓶を撫でている高麗の女人たちの美しい姿が、まさにまぶたに浮かんでくるような気がする。



高麗青磁の美しさにはこの外に象嵌の美しさも加えられる。青磁は中国から渡ってきたが、高麗青磁が中国のそれに比べ象嵌技法と抜きんでた翡色の二つが先立っているという。



象嵌技法は半ば乾燥された器の表面に紋様を陰刻した後、その中に白土や瓷土をつめ素焼してから青瓷釉を塗って再び焼き出し、紋様が釉薬を通して透視されるように製作するのである。この技法は高麗の陶工が初に創案したものである。



また翡色もやはり中国にあったのだが、高麗青磁の翡色が神秘なほど抜きんでて中国を凌駕したといわれる。もっとも良い翡色を出そうものなら釉薬に3%の鉄分が含まれなければならない。これより少なく含まれていれば弱い薄緑色が出るし、もっと多くあればとても暗い緑色が出るという。高麗の熟練した陶工達は鉄分のありかなどの秘密までも知っていたのだ。



 



李朝白磁



韓国の歴史、つまり韓民族史を振り返ってみると、一王国、一王朝としてきわめて特異な面の多い近朝鮮、すなわち(李氏)朝鮮王朝(一三九二~一九一○)は、完全な中央集権体制を整えた国家として、五百年という長い期間続いた人類史上類少ない王朝である。



この王朝は地政学的な宿命からして不幸にも外には事大し、内には党争に明け暮れなければならなかった。しかし、民衆は民衆なりに自らの運命を守り、その天稟を発揮する上でさほど拘束を受けなかったという、専制王朝としては独特な面があったといえよう。



しかもその民衆が表現し営んできた生活、つまりその底辺にある文化も、世界にその例がほとんどないと言える特異な性格をもっていた。なかでもその文化がはっきりと刻みつけられた伝承工芸、すなわち生活の道具としての民芸品は、文字どおり世界文化史の一部を覆すほどの驚くべき力、特異な性格、貴重な価値をおびたまま、世人の視線の及ばないところでひっそりと息づいているのである。



中でも大本をなすのはまさに陶芸であるといえる。



高麗王朝(九一八~一三九二)が仏教を立国の理念としていたため、青磁には極楽往生を願う来世的な幻想と、しだいに虚無に溺れはじめた流麗繊弱な貴族的悲哀が滲んでいる。しかし、そのような耽美的な技法を修業しつくしたのちに生まれたのが、李氏王朝時代の陶芸である。



そこには儒教立国に徹した王朝の「実事求是」(注:一)まで唱えるに至った現世的な規範と、その制度に対抗しようとする質朴、強靱な庶民的悲哀がこもっている。韓国の陶芸は青磁とともに終幕を告げたのではなく、白磁といういま一つの工芸史の序幕が、すでに六百年も前に一つの王朝の誕生とともに始まった。



李朝白磁は年代的に、地域的に、そして装飾面からしてその色がちがうが、全般的に白色がその基礎をなしている。およそ白色とは彩色に対して一般に無色と称されるのが普通であるが、実は白色はすべての色の根源であり、祖宗であり、母体であるといえる。いかに真理を認めるのにやぶさかな人であろうと、李朝白磁のもつ千差万別な白色に心酔しない人はいないだろう。



韓民族は世界のどの民族よりも、先天的にもっとも白色に敏感な民族と評価されている。昔から「白衣民族」(注:二)と呼ばれてきた韓民族こそ、一切の色彩の根源である白色に限りない愛情と親しみを注いできた民族なのである。



李朝白磁をすべての造形に冠絶するということは決して誇張されたことではない。一口に言って李朝白磁は、いくら大きくても肥大しすぎることなく、いくら小さくても矮小にすぎることはない。それはとりもなおさず造形の造形としての宿命をひとえに人為的に解脱した、世界に比類のない工芸美術の偉大な美学的勝利であるといえる。



いつか美術愛好家の一日本人女性は、『造形の最上、最後のものとして、李朝白磁の丸い壷をしのぐものは他にありません。いかなる自然物も李朝の壷の美しさにはかなわないでしょう。だから李朝白磁には花を活かすことができません。かりに花を活かすとしても、それは花を活かすために壷を使うのではなく、壷の孤独を慰めてやるために花を活かすのでなければならないでしょう』と語ったそうである。



李朝白磁には、一)器の表面を包んでいる釉薬と色素および器を形成する線が生命である純白磁。二)器の形を作りその上に回青または土青と称するコバルト顔料で紋様を描いた後、その上に純白の釉薬をかぶせて澄んで綺麗な青色の文様が生じるように作った青画沙器。三)白土で器を作って低温で素焼をし、その表面に酸化鉄顔料で紋様を描き、その上に白色釉薬を上塗りして燔造した鉄絵白磁。四)陶磁器の底に酸化銅(辰砂)彩料で絵を描くか塗った後、白磁釉薬をかぶせて焼き出した辰砂白磁などがある。



 



사발 (マクサバル<一沙鉢>:<井戸茶碗>)



マク)は、韓国語で「ぞんざいに」、「いいかげんに」、「でたらめに」の意であり、사발サバル)は(陶器の)鉢、丼鉢の意である。だから 사발はいいかげんに、適当に作った鉢ということになり、韓国では一般的で平凡な器に対する呼称である。



この器の不思議な点は、その用途に対しいまだに学界で完全に意見が一致していないことである。食器として使われたのか、祭器として使われたのか分別がついていない。われわれがこの器に対しこのように無知なのは、十六世紀後半から十七世紀にかけて作られていたが消え去ったからであり、生産地も限定されていて実物がほとんど残されていないからである。



ところがこの器が十六世紀後半から日本に知られて以後、日本では武家の間で旋風的な人気を集めた。この器がそのように日本で人気を集めたのは、当時の日本人が好んで飲んでいた抹茶の茶碗として使われてからである。



사발の値打ちを最初に見知ったのは、豊臣秀吉のお茶の師匠だった僧侶千利休であるという。
茶人利休は、『この茶碗の内面を見れば小さな泉が映る』と言ったそうである。泉が湧き出るような神秘を感じたのであろう。



茶碗の人気の秘密をみな掘り出せないので、ここでは美学の面だけをうかがうことにする。



日本の美は対称的で、規格的であり、完璧美を追求してどこにも隙間がなく、したがって息苦しい。このような美学によって作られた日本の家屋に、韓国の器が置かれると想像してみよう。その瞬間心が和み安らぐことだろう。 사발の美学は日本の美学と正反対にあるからである。



사발は自由奔放で破格的な器だと称される。もともとこの器は青磁に白色をかぶせた粉青磁から出た。粉青磁を釉薬に浸すか、でなければ筆で釉薬を粗く塗る方法を通して作られた。粉青磁がすでに自由奔放な美学を誇っている器なのだが、 사발はそれよりもっと粗い姿を見せる。



器にひびが入ればあるがままにしておき、横が割れればそれもそのままにしておく。下の方に釉薬が流れればそれも気に介しない。器の模様だけ人為的に作り、その次からは自然に任せておく。この器でもその精神を感じられるし、その姿は堂々である。韓国美学の特徴の中の一つは、可能な限り人為的な手を省くところにある。自然と人工の手際を絶妙に配合した作品が막 사발である。



-추천하기     -목록보기  
의견(코멘트)을 작성하실 수 없습니다. 이유: 권한이 없는 회원레벨
번호 Category C  글쓴이 제목 등록일 추천 조회
공지 -
 조경식
 全州、第十三回韓日交流会での挨拶 2013-06-08 173 1329
97 한국문화
 申鉉夏
 春を待つこころ(2) 2020-09-26 36 304
96 한국문화
 申鉉夏
 春を待つ心 (1) 2020-09-26 47 364
95 한국문화
 申鉉夏
 歴史に真正面から向き合おう -関東大震災と内鮮人の悲劇- 2020-09-22 51 297
94 한국문화
 申鉉夏
 帰化の将「沙也可」、金忠善になる (2) 2020-09-17 46 149
93 한국문화
 申鉉夏
 帰化の将「沙也可」、金忠善になる (1) 2020-09-17 34 140
92 한국문화
 申鉉夏
 安重根義士とその平和思想(2) 2020-09-13 35 137
91 한국문화
 申鉉夏
 安重根義士とその平和思想 (1) 2020-09-13 36 146
90 한국문화
 申鉉夏
 童謡劇『月の砂漠』(2) 2020-09-08 29 202
89 한국문화
 申鉉夏
 童謡劇『月の砂漠』(1) 2020-09-08 30 145
88 한국문화
 申鉉夏
 大学生の「新」朝鮮通信使 2020-09-04 18 147
87 한국문화
 申鉉夏
 日本における嫌悪表現はなぜ在日韓国(朝鮮)人を狙うのか 2020-08-31 24 105
86 한국문화
 申鉉夏
 韓国の멋(風雅)(3) 2020-08-28 31 207
85 한국문화
 申鉉夏
 韓国の멋(風雅)(2) 2020-08-28 27 135
84 한국문화
 申鉉夏
 韓国の멋(風雅)(1) 2020-08-28 26 118
83 한국문화
 申鉉夏
 韓(朝鮮)半島と日本誇大文化(2) 2020-08-24 31 124
82 한국문화
 申鉉夏
 韓(朝鮮)半島と日本古代文化(1) 2020-08-24 34 126
81 한국문화
 申鉉夏
 種無し西瓜 2020-08-23 24 132
80 한국문화
 申鉉夏
 三田渡碑に想う 2020-08-19 33 194
79 한국문화
 申鉉夏
 わが竹馬の友 (3) 2020-08-16 19 109
-목록보기  -다음페이지  
1   2   3   4   5  
       
Copyright 1999-2021 Zeroboard / skin by DQ'Style 

Copyright ⓒ 2007 KJCLUB. all rights reserved.