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| 한국과 일본의 문화 |

제목: 春を待つこころ(2)
분류: 한국문화
이름: 申鉉夏


등록일: 2020-09-26 12:15
조회수: 135 / 추천수: 15




開校して間もない大邱師範学校に、学生たちの胸に民族意識を植えつけ民族的自覚を促すのに情熱を注ぐお二人の若い教諭がいた。彼らお二人の教諭は、日本人同僚や上司の耳目を避け、学生らの脳裏に祖国の歴史と文物を注入し彼らの抗日・独立精神を鼓吹していた。朝鮮総督府のもくろんだ、植民地政策の尖兵を養成するはずの道場が民族思想を培養する温床になろうとは、朝鮮総督府も夢にだに予期せぬ出来事だったに違いない。



英語科目担当のH教諭は、日本人学生らの「朝鮮語」の学習時間を選び(注2)、英語の授業を民族教育に切り替えた。特に旧韓国末期の日本による侵略の情況と三・一独立運動に至っては、より熱を上げて仔細に教えるのだった。授業中学生たちを前にH教諭は、『君ら、百人の朝鮮人教師が、まともな魂をもった朝鮮人を百人ずつ育てれば一万人になるんじゃないか。君らはそれを肝に銘ずるべきだ』、とじゅんじゅんと諭した。



普通学校では自国の歴史を学べなかった学生たちは、H教諭の朝鮮史講義に興奮せざるを得なかった。祖国の何なのかを始めて知ったし、亡国の悲しみとともに日本帝国への敵愾心が湧き上がった。自分たちの青筋の血管の中を、朝鮮人の熱血が流れているのを実感するのだった。学生らは我知らずこぶしを握り締め、朝鮮独立のため身命を投げ打つ覚悟を固めていた。



歴史及び朝鮮語科目担当のK教諭は、「ハングル」をわが命のように大事にして、愛国時調(シジョ)高麗(コリョ)末期から発達した韓国固有の定型詩)百首を選んで順に解釈しながら暗誦させた。「日本帝国侵略史」とともにわれわれの伝統文化を教え、民族的自覚と自尊心を呼び起こしてくれた。ことある毎にK教諭は、『諸君! 今「ハングル」の運命は風前の灯のような危機に処している。言葉と文字がなくなるということは民族の命が途切れることである。この危機を乗り越え「ハングル」を最後まで保存できるのは君らしかない』、と懇切に諭して「ハングル」の保全と普及に奮い立たせた。



お二人の若い教諭の民族教育のお陰で、尋常科一期生からわれわれの言葉、われわれの文字を保存しようとする愛国運動が続いた。したがってわれわれ尋常科生の抗日運動は、「民族魂を決して消えさせてはならぬ」とする民族愛の表れである。その伝統は脈々と受け継がれ、朝鮮総督を二度も学校に足を運ばせることになる。一九四五年八月十五日、待ち焦がれた祖国の解放にともない、開校十七年目に新生中学校に転換した母校は、他校に比べればその歴史は至って短い。だが、後述のように抗日学生運動に残した足跡はあまりにも大きい。



一九三○年ごろから、尋常科第一期生二十八人は、H教諭の下で「社会科学研究会」を組織して読書活動と討論を活発に展開した。その運動の目的は朝鮮民族の解放と無産農民の救済だった。当時わが国にも社会主義が浸透していたため、旧ソ連(ロシア)の後押しで独立を勝ち取ろうとする人士も多く、民族主義と社会主義は独立闘争の上では共存関係にあった。



一九三一年十一月下旬、思想事件で逮捕された他校の生徒の取調べ中、この読書事件が発覚して本格的な捜査が開始された。首謀者の外数名の責任者が拘束されることによりH教諭まで拘束される結果となり、一年の予審を経て判決が下された。被告H教諭には治安維持法が適用されて懲役三年に執行猶予五年、その他の被告には懲役二年に執行猶予四年の重刑が言いされた。これがいわゆる「第一次読書会事件」である。



H教諭の指導による第一期生の読書活動は、尋常科生の抗日独立運動のル-ツだった。第三期生による「第二次読書会事件」、第六期生の「民謡集出版事件」、第九期生を中心としたいわゆる「バンディップル(반딧불=蛍の光)誌」事件などは、綿々と受け継がれたその血脈である。それにしても皇国臣民化の主役たちを養成する師範学校での事件である。生徒たちは言うまでもなく一般国民にも大きな衝撃と覚醒を与えた。朝鮮総督府はもちろんのこと、官憲の監視の目は大邱師範学校に集中されることになった。



そのような中でも事の次第を冷静に見詰めていたのは、円熟な自由主義者だった初代校長平山正である。H教諭がいわゆる不穏思想の持ち主であるのを知り、その解任を詰め寄った教頭の進言に対し、平山校長はこう言ってそれを退けた。『君も朝鮮人の立場で考えて見給え。あれほどの気迫を持った青年がうらやましいじゃないか…。』H教諭が捕らわれの身となってまもなく、校長平山正も悲痛な訓示を残して学校を去った。彼のような自由主義者は、当時の師範学校長としては不適任者だったのだ。



一九三八年学校教育の現朝鮮語科目廃止された。悲憤慷慨(ひふんこうがい)した尋常科第六期生は、K教諭指導極秘裏に『朝鮮民謡集』の発刊決議した。らは、教諭の寄宿舎舎監当直わせ、して製本完成させた。写本発刊させたこの謡集は、各自赴任した普通学校文盲退治教育のための成人夜学堂教材として使われた。世に言う「バンディップル誌」である。



一九四一年七月、第八期生所持の民謡集「バンディップル誌」が発覚し、秘密組織活動の全容が明かされた。この件での検挙者数は数百名に昇り、K教諭も拘束されて()(ジョン)警察署に収監された。その調査過程での過酷な拷問で五名の獄死者を出し、第八期生十六人、第九期生十七人、第十期生一名、都合三十四名が公判に付せられた。秘密結社の組織と行使、不許可の文書出版、軍事機密に関する流言飛語の流布など、当時の治安維持法、出版法、刑法、陸海軍刑法が適用された。



三十四名全員に、十年乃至五年懲役求刑され、一律刑期半減した実刑された。K教諭実質的指導者だったが、関連生徒たちの異口同音弁明により起訴一九四二年一月釈放された。やせえ眼孔の落ちくぼんだK教諭は、われわれきるいたしまれる中別れをげて大邱師範学校った。



この事件となった「バンディップル誌」はたった一冊現存している。それは、一九四三年十月大田刑務所獄死した第八期生済敏(バクジェミン)未亡人が、より大事っていた夫の遺品である。さりながらたかが写版刷りの謡集所持が、なぜこれほどまでに重罪してかれねばならなかったのか



一九三六年八月第七代総督として赴任した南次は、植民地統治をより強化ながら、わが民族抹殺境地らせようとする政策推進た。その代表的なのが精神的洗脳作業朝鮮人精神日本人にしようとするのだった。それで国臣民化政策推進したし、いわゆる創氏改名政策強制的推進た。学校教育朝鮮語授業廃止し、朝鮮人から言葉文字ろうとした。このような日本人化政策推進するで、朝鮮知識層抵抗弾圧しなければその民族魂こそぎにできぬとしたからだった。



一九四三年八代目朝鮮総督小磯国昭突然来校した。一九三二年本校第一次読書事件」(抗日事件発覚後六代目朝鮮総督宇垣一成来校わせて二度目である。地方都市にある一介師範学校に、当時小天皇」といわれ権力者朝鮮総督二度視察来校るとはただではない。普段から本校抗日民族運動熟知市民らは、現役朝鮮総督二度目視察にし、「また重大事件たのじゃなかろうか」、ときと不安まなざしで注視ていた。



植民地時代を顧みれば初代からの朝鮮総督は、日本で大臣や総理大臣を経た人士が選ばれたし、辞任後日本の総理大臣に任命される場合も多かった。なおここで注目すべきなのは、九代を数える朝鮮総督全員が陸・海軍大将だったことである。言うまでもなくこれは、日本が朝鮮に実施した植民政策が、憲兵警察制による武断政治だったことの(あかし)である。一九一九年三月一日の独立運動を機に、植民統治方法を武断政治から文化政治に転換したが、それはあくまでも表向きでしかなかった



ちなみに小磯国昭も陸軍大将で、総督就任前すでに本国で拓務大臣を経たし、辞任後帰国して総理大臣に任命された。だが、軍部の非協力などで戦争指導に何ら役割を果たし得なかったし、蒋介石国民政府との和議工作に失敗しながら、一九四五年四月に総辞職した。そして終戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯として起訴され、獄中で死亡する。



講堂に集められた全校生を前に、(いかめ)しい表情の小磯国昭は、「かねがねわたしは、本校が他と違う伝統の学校なのを知っている。本日所用で近くまで来たついでに、本校に来て見ないわけには行かなかった…」、と訓示を始めた。だが、その途中、突然壇上から校長に向い、『校長!さっき話した…、その方針で行け…』、と一喝するのだった。



四代目校長高力得雄は、徹底した国粋主義者権威主義だった。を、どう報告したかはもないが学生たち面前総督口頭即席命令すほどだったから、その内容してるべしである。朝鮮総督にとり師範学校教育いかに重要課題であり、われわれの抗日運動どれほど総督頭痛だったのかをりえよう。総督府忠誠なる朝鮮人教員養成のもくろみは、大邱師範学校においては裏目



一九四四年、すでに四十ぎた歴史科目担当のS教諭が再召集された。朝鮮人学生の指導しかったため、われわれからはいに(けぶ)たがられていた。壮行会席上彼は、『たとえ日本この戦争たとしても、地政学的条件からして朝鮮独立できない!』、と禁句中禁句朝鮮独立」をにした。われわれはたれながらも、はっとその発言意味づき、注意深いのをうかがっていた。



われわれは胸の内で叫んだ。『そうだ。奪われた野にも春が来るのだ。われわれの血みどろの闘争が、計り知れない尊い犠牲が、凍てついた大地を溶かす春を呼んだのだ!』



季節の春とともに、「朝鮮の春」はもうすぐそこまで来ているのだった。



    初秋



 



(注1): 総合誌『開闢』は、一九二○年六月、 過酷な日本帝国の言論政策の中で生まれた。だが、創刊号から販売禁止を余儀なくさせられる。このように始められた『開闢』誌は、一九二六年八月号に投稿した朴春宇(バクチュヌ)の「モスバで新たに開かれた国際農村学園」が問題になり、その月で強制廃刊に追い込まれる。それまでに通巻七十二号を出す間、販売禁止三十四回、発売停止(停刊)一回、罰金一回の処分を受けたし、論文削除は九十五回に上ったから、毎号ごとに弾圧に苦しめられたのだった。



(注2): 一九三六年八月までは、 朝鮮の普通(小)学校では朝鮮語を教えていたので、師範学校の日本人学生にも朝鮮語科目の学習が課せられていた。ちなみに当時師範学校尋常科の入試では、合格定員の一割が日本人応募者に割り当てられていた



(注3): 本稿は、拙著『(ハ-ン)の海峡』(一九九六年)に登載された原文をもとに、本稿主題の李相和の詩の解釈、朝鮮総督府の施政方針の中で特に文教政策、そして日本帝国の弾圧と朝鮮人若人の抗日抵抗運動に重きをおいて加筆した。



 



 



 



 



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